クサカベ農園 日下部裕一さん
亀岡市東梅本町
Interview
人に頼らず、自分たちで生み出し、回せる社会を
僕は元々東京でバンド活動をしていました。音楽をやりだしたのは、たまたま家にアコギがあってそれを弾き始めたのがきっかけでした。高校生のときにバンドを組んで、その後は東京に行って、楽しくやり続けてきたんです。
でも、2011年にあった震災の影響でバンド活動が止まってしまって。あらためて立ち止まって考える機会ができました。そういう意味では震災はやっぱり大きかったかな。東北からもらっていたものが止まってしまうとどうしようもなくなる。その状況に違和感しかなかった。
色んなものを人に頼るんじゃなくて、自分たちで生み出して回していける社会。それはどうやったらできるんだろうか。そんなことを考えていたときに、(川口由一さんの)自然方法の本に出会って、これなら始められる、と感じたのが農業だったんです。実家は元々兼業農家で、土地はありました。
作る過程が面白い 音楽と農業に共通すること
この土地で農業を始めて、最初の3、4年は失敗ばかりで。そんなときに出会ったのが、近所でトマトとほうれん草とお米だけをやってるべテラン農家さんでした。この人はいわゆる篤農家で、高級スーパーのバイヤーが直接買わせて下さい、と来るような人でした。その方と仲良くなって、「この時期はこれ蒔いたらあかん」とか、具体的なデータを教えてもらうことによって、安定していきました。
それでも、農業は自然相手。台風一発でダメになってしまうこともあるし、その年、その年で同じように作っても同じようにはできない。有機的というか。ただ、努力が報われないことに慣れてるんですよ、ミュージシャンって。良いものを作っても売れるとは限らない。作る過程、できあがっていく過程が面白いんですよね。それは農業にも共通してる。
地域の活性化を考えたい
震災の後、しばらくして東京に行ってみると、普通の東京の街に戻ってて。人間にとってこのエネルギーは、少し大き過ぎるように感じたのではないかと。もしかしたら、都市型の生活に限界が来ているのかもしれないとも感じました。
そういう意味ではこれからは、「農家」という生き方が注目されることもあると思います。ただ、生き方だけがクローズアップされるのは怖いですね。(表があれば裏もあるし、)農業に関していえば、本当に危うい状況がずっと続いているので。僕個人の展望としては、法人化してこの地域に住んでる人を雇用したいです。少しでもこの地域が活性化していく一因になればいいなと思います。
「届ける」という思い
農業をやる上で一番根本にあるのは「届ける」という思いです。この国の食を支えなきゃいけないわけで、それができないなら農業は産業として成り立たない。
有機農業で成功されている方は慣行農業を否定しないし、慣行農業で成功されている方は有機農業を否定しない。互いにあれは1つの方法だと認め合ってる。その考えが浸透していけば、もっと良くなっていくと僕は思います。
インタビュアー:大西将輝(京都造形芸術大学文芸表現学科2年)
写真:大賀由佳子
インタビュー:2019年6月
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